僕の父はパチンコ依存症

僕の父はパチンコ依存症でした。

 

病院に通っていた訳ではないのですが、昔を振り返るとそうだったんだろうなと思います。

 

小さい頃はお菓子をいっぱい持って帰ってきてくれていたので少しは恩恵はあったのですが

裏では母が泣いてたそうです。

 

父は腕の良い内装工事の職人でした。

 

建物の中のボードを貼る職人で当時勤めていた工務店の親方からも一目置かれていたそうです。

 

その後独立して職人として働いて、勤めていて頃より遥かにお金を稼げるようになりました。

 

しかし、父は昔からお金に関して何も考えておらず、手元にあるお金は全てパチンコに突っ込んでしまう癖というかなんというか、困った癖がありました。

 

母と結婚して姉、僕、妹が産まれても少しの生活費を母に渡して、残りのお金でパチンコに行く。

こんな生活が僕が13歳の終わりまで続きました。

 

 

そんな父は去年の11月末に膀胱癌と肺炎で57歳の若さで亡くなりました。

 

離婚して10年以上会っていなくて久々に会ったのが病室でした。

歯もほとんど抜けおり、癌の治療の影響か足が浮腫んでパンパンでした。

 

コロナ禍も会って15分くらいしか面会はできませんでした。

ですが、孫の顔が見れてすごく嬉しそうだったのを覚えています。

 

父の葬儀後、遺品整理をしていてらたくさんの消費者金融のカードと催促状が出てきた時は驚きました。

 

離婚してからなのか、それ以前のものなのかは不明ですが、呆れました。

 

 

父は奄美大島の出身でした。

父の葬儀の時にご兄弟が集まってくれた時に初めて父の幼少期の話が聞けました。

 

父のお父さん、僕からしたら祖父にとても厳しく育てられたそうです。

いつも怒られていたのは父だったそうです。

 

祖父からの愛情を感じたことのない父は順調にグレていき、剃り込みリーゼントの不良になって周りから恐れられていた時期があったそうです。

 

父は本当は寂しかったんだと思います。

 

その寂しさを埋めようとした。

それが父の場合、パチンコだったのです。

 

数ある依存症も同じだと思うのですが

心の不安が大きければ大きいほどその隙間を何かで埋めようとする。

 

それがお酒であったり、ギャンブルであったりするのです。

 

依存症は本人の生活だけでなく身近な人を巻き込んで苦しい道へと進んでいきます。

僕の場合は特に母が大変苦労をしました。

 

母名義のカードを使って勝手に借金を作ってきたり、姉の学資保険を勝手に解約して使い込んでしまったり、母の財布からお金を抜いたり。

 

本人もこのままだはダメだってことは分かっているんです。

でも、止められないんです。

 

依存症は病気です。

 

我慢すればどうこうなる問題ではありません。

 

誰からも支えられないで治すことはできませんし、一人では状況はさらに悪化していくでしょう。

 

父は離婚してからは職を転々としていたそうです。

まともな食事は取っていなかったんじゃないかな、父の住んでいた部屋の遺品整理の時にお酒の空き缶が大量に出てきました。

 

 

依存症は恐ろしい病気です。

 

でもどうか依存症の人を軽蔑しないでください。

 

その人は苦しんでいるんです。

本当はやめたいと思っているんです。

 

僕らもいつでも依存症サイドに行けてしまうことを忘れてはいけません。

 

今日はふと父のことを思い出したのでこの記事を書きました。

ちょっとダークな内容になりました😂

 

それではまた!

 

しげるでした!!!